こんにちは、J.C.です。
今回は僕のようなハーフが日本で暮らしていて経験をする「あるある」系統のお話をしたいと思います。
全てのお話は僕個人の経験から感じたことなので、全てのハーフの人に当てはまることではないかも知れません、 悪しからず。
10代でありがちだった「あるある」
僕の場合ハーフとは言え、見た目がとても外国人なのですよ。50年以上日本で暮らしていてハーフに見られたことはありません! ((((;゚Д゚)))))))
と言うわけで10代のときに一番多かったあるあるは、君は何人? どこから来たの?
お国はどちら? いつ国へ帰るの? ←この類の質問の雨あられでした。(笑)
毎回答えるのがマジしんどかった!(笑) そんなに外国人か俺? と不思議だったのですが、たまに街を歩いていてガラスに映る自分の姿を見て、あっ、外人だ、と思っていました。(爆)
20代でありがちだった「あるある」
若い頃はロックバンドをやっていたと言うこともあるのですが、よく東京に遊びに行ってました。(生まれも育ちも横浜)ライブなども東京のライブハウスでやることが多かった。
そんな関係からかプラプラしていると結構スカウトをされることも多かった。
今と違って芸能界とか音楽業界は胡散臭いと言うか、怪しい雰囲気をかもし出しまくってましたから、真剣に話を聞いたことはなかったです。
だってあの頃はミュージシャンになりたいからバンドをやってたわけさ。レコードを出して、コンサートやって、音楽活動をしたいんだよ。
なのにスカウトされるとモデルとかドラマとかの話ばかりで、はっ!??
って感じだった。(笑)
俺はロックミュージシャンになりたいのよ!? なんでモデル?
超とんがった20代の青春を歩んでいました。(大笑)
要は見た感じが日本の人と違えば誰でもいいんだよね、スカウトの人は。
30代でありがちだった「あるある」
30代では結婚をしていました。(日本人の女性と) そうなるとけっこう夫婦でのお付き合いも多かったですね。
お互いの知り合いの友達夫婦と食事したり、飲みに行ったりが多い時期でした。
そうなると僕がはじめて会う奥さん側の友達夫婦も多かったわけですよ。そうすると当然食事や、飲んでる席で質問の雨あられなわけですよ。(笑)
いつも帰りには嫁さんと喧嘩。「事前に全部話しておけや〜ボケ〜!!」ってのが多かったな〜。(笑)
40代でありがちだった「あるある」
離婚をしたのが確か40歳のとき。正確には別居かな。まぁどっちにしろ40歳から僕の
シンパパ 人生がスタートしました。
僕の40代は息子の同級生の父兄との新たな出会い & お付き合いでしたね〜。
となると、学校の参観日、運動会、その他の行事で父兄(ほぼお母さん)との交流が多かったですね。
そうなると僕に興味津々の親御さんたちは、またもや質問攻めなわけでございます。(笑)
僕がどこから見ても外国人なので、いいですね〜、息子さんはハーフでしょ?って問われることが一番多かったかな〜。
その度に、いえ僕がハーフなので息子はクォーターになりますかね〜ってな具合に答えてました。多分8000回以上は答えてます。(爆笑)
これが小中高と一番多かったですね。いい加減みなさんに僕のプロフはいきわたらないのかと不思議でしたね〜。(笑)
50代でありがちだった「あるある」
今年58歳になりました。ここまでに感じたあるあるを総決算で考えてみます。離婚もしてるし、息子も成人してるので、夫婦関係のお付き合いや、息子関係の父兄とのお付き合いも前ほどありません。
そうなると断然前より色々と説明の機会は減りました。思い返すと僕の人生、自分の
Identityの説明がひたすら多い人生だったな〜。(笑)
最近自分の時間が増えたってこともあり、ぷらっと1人で飲みに行くことも結構あります。
居酒屋などで飲んでて知り合った人からは相変わらず過去と同じ質問はされるのですが、前と変わったのは、妻や子供関係の人からの質問ではないから、超無責任に答えるようになったと言う事実。(笑)
とりあえず最初は正確に答えるのですが、2度目に会ったときに、え〜と、イタリアの方でしたよね? なんて聞かれればめんどくさいので、そうですよ〜良く覚えてましたね〜、なんて感じで答えてます。(爆)
イギリス人でしょ? なんて言われれば、そうでーすなんて答えて、アメリカの人だよね? なんて言われれば、ハイハイ、なんて答えてるので、みなさん僕のことを全然違う風に認識してます。(大笑)
まぁ、でも、こんなアバウトな感じで楽しく成り立ってるので今はだいぶ楽だし楽しいですよ。これから60代ではどんなあるあるが待っているのかワクワクしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまったねー Bye Bye